ども、MrBachLover(バッハラバー)です。
今回は、
事実の整理ではなく、
一つの仮説を書いてみようと思います
仮説)Konica I・II・IIIで完成されていた思想が、
形を変えてα6400にたどり着いたのではないか

そうそう、昔 Konica ってカメラメーカーあったよねー。
ミノルタと合併したあと、どうなったんだっけ。。。

昔はコニカラーとか、あったよねー。いやー、コニカ結構好きだったなー。
Konica I・II・IIIにあったもの
1950年代に発売された高級かめらの Konica I、II、III
これらのカメラに共通して感じるのは、
- 技術誇示をしない
- 数値で語られない
- でも、使うと分かる完成度
という姿勢です
派手ではない
最先端でもない
けれど、
「これ以上、どこを削る?」
「これ以上、どこを足す?」
と考えたとき、
答えが出てしまっている
Konica II B が
「記憶を写すカメラ」だったのも、
次の思想の延長線上にある気がしています
思想:性能ではなく、体験としての完成度を優先
(サイト内記事のご紹介)Konica II Bの記事の購入記事を書いています
Konicaには「デジタルをやり切る体力」がなかった
ただし、
思想があっても、
企業としての体力は別問題です
デジタル時代は、
- 莫大な研究開発費
- 半導体
- ソフトウェア
- 長期投資
が必要でした
Konicaには、
それを単独でやり切るだけの
余力がなかった
これは技術力の問題ではなく、
事業構造の問題だったと思います
受け取ったのはMinoltaだった
Konicaの思想が
完全に消えたかというと、
そうは思えません
それを受け取ったのが
ミノルタ だった、
というのが次の仮説です
ミノルタのαには、
- 実用主義
- ユーザー視点
- 技術を誇らない合理性
が、確かにありました
どこか
Konicaに似ている
Sonyは「思想」を引き受けた
そして、
ソニー が
αを引き継ぎます
Sonyは、
- センサー
- 半導体
- ソフトウェア
という
デジタル時代の体力を持っていました
結果として、
- ミノルタ由来のカメラ思想
- Sony由来のデジタル技術
が融合します
そしてα6400が生まれた
ここで、
ソニー の
α6400 を見ると、不思議な点があります
- フラッグシップではない
- 技術デモ機でもない
- でも、完成度が異様に高い
まるで、
「もう、これ以上いじらなくて良い」
と言われているようなカメラです。
これは偶然でしょうか
「ちょうど良い」という完成形
α6400は、
- 大衆向け
- 価格も現実的
- 機能も十分
でも、
安っぽくない
ここに、
Konicaが目指していた
「ちょうど良さ」の影が見えます
仮説としての結論
もちろん、
これは公式な系譜ではありません。
でも、
Konica → Minolta → Sony
という流れの中で、
「思想」だけが静かに受け継がれ、
α6400という形で結実した
そう考えると、
多くの点が腑に落ちます
だから、
α6400は長寿なのかもしれません
最初から、
完成されすぎていたから
最後に(締め)
これは推測です
でも、
カメラを長く使ってきたからこそ、
そう感じてしまう
そんな仮説です
ではでは〜



コメント