お元気ですか、MrBachLoverです。リーマンピアノ弾きの皆様、先週末の情熱大陸(TV番組)は反田恭平さんの回でしたね。ご覧になられた方も多いかと存じます。わたくしもキッチリ見ちゃいました。という訳で、今回は先週末の情熱大陸(反田さんの回)を見た感想などを綴っていきます
結構遅い時間の放送だったけど、寝落ちしなかったの???
内容がとても素晴らしくて、寝落ちどころか目が覚めちゃったヨ。
なーんてね。実は録画して朝起きてから見ました。へへへ。
印象に残った点(その壱):侍ヘア
日本人といえば侍だろ、ってことで、侍に似せた髪型にしたそうです。それがなんと、5年も前の話。その頃からショパンコンクールを意識してヘアスタイル変えてたのですね〜。
前の髪型の方が女性ウケは良いんだと思うんですけど、それはどうでもいいご様子。いやー、凄い戦略家ですね。
上原ひろみさんも観客に一発で覚えてもらえるようにと、あのパイナップル(?)みたいな髪型にしたって話を聞いたことがあります。印象的なのって大事なんですよね
印象に残った点(その弐):体型
良い音を出すために体型を変えた(=体重増加させた)のだそうです。更に筋肉の量も少し落としたのだとか。以前はもう少しスリムでシャキッとしてカッコよかったんですけど、良い音を出すにはある程度の体重が必要なのですね。そうそう、ご飯とっても大事、ってポーランドの自宅マンションにおいてある家電炊飯器を見せてくれましたね〜
日本人してます!
そして、冷蔵庫の中にコカ・コーラ1.5Lのペットボトルが入ってたのをわたくしは見逃しませんでした!
体型がぽっちゃりなのと、コーラ好き、この2点だけはわたくしと共通点かも!?
反田さん、比べちゃってサーセン!(サーセン=すみませんの若者言葉)
印象に残った点(その参):出てきたピアノ
ポーランドのマンションに置いてたのは、K.KAWAI。日本のご自宅(でしょうか?)のピアノもK.KAWAIでした。そして、三次予選通過後の練習室(?)のピアノはShigeru Kawai でした
ヨーロッパでは結構カワイの普及率が高いようですね。
そうそう、ショパコンでもカワイを選択したピアニストのファイナルまでコマをすすめる確率がなんと高かったことでしょうか。
わたくしがショパコンのピアノについて書いた記事もよろしければ。
印象に残った点(その四):「いつも童心を忘れない」
これからもずーとピアノを弾き続けるかどうかは、チョット(???)って感じでしたけど、いつも、いつまでも、童心を忘れずにいたい、みたいなことを仰ってましたね
童心を忘れないってことは、本当に大切だと思います
ピアノの演奏にはインスピレーションが欠かせませんが、そのインスピレーションの源は童心や遊び心から生まれるのだと思います
結び:反田さんもアシュケナージさんもショパコン2位
反田さん、これからは指揮も勉強して、そのうち指揮者に転向するんじゃないかなって思ってみています。ピアニストから指揮者に転向した人といえば、アシュケナージさんもその一人。
そして、アシュケナージさんはショパコンを受けた当時、優勝最有力候補だったのに結果は2位。
将来的に指揮者なろうと志してる人は、ショパコンで2位になる???
(おまけ)ショパンコンクール・ファイナルの結果
後日公開されたショパンコンクール・ファイナルの審査結果だけを純粋にみると、なーんと、
- ブルース・リウさん、
- 反田恭平さん、
- アレクサンダー・ガジェブさん
この3人の得点が奇跡的に同点だったのだとか。
つまり、この3人は全員優勝者なのです
なのに、わざわざ予選の結果も考慮してブルース・リウさんが1位になったのです
それなら、2位と3位も白黒つければいいのに。
要するに、審査員の誰かがブルース・リウさんをゴリ押ししたんじゃね???
だいたい、芸術なんて価値観で大きく点が変わるんだし。ピアノサロンの先生の先生は、ブルース・リウさんと反田さんの芸術性の差は歴然、と仰ってたそうですけど、反田さんのモスクワ音楽院時代の先生曰く、「わたしは反田くんが1位だったと思う」っておっしゃってましたし。
このレベルになると、ほとんど宗教戦争??? って感じなんですけど。
そもそもファイナルの演奏順だってブルース・リウさんは最も良い点もらえる演奏順にしてもらってるし。コンクールで最終日の演奏は絶対的に有利なんですよ。この順番決めてる時点で、なんとなーくキナ臭い(=怪しい)。
最後に愛は勝つ、って歌がありますけど、わたくし的に今回のショパコンは、最後にマウンティングを取った審査員の弟子が勝つ、ッテ感じですね〜
ファイナルの結果はファイナルの演奏の点だけでキッチリ決めればいのに。
鬼滅の刃の伊之助なら「オレ、3人とも1位でも全然良いと思う。」って言うだろうなぁ。
なんだかなー。
ではでは~
コメント
失礼します、時々拝読しています。とてもタイムリーな、素晴らしい記事に拍手ですが、一つだけ珠に瑕が・・・。アシュケナージがコンクールに出場したのは1955年、比してダン・タイ・ソンは かなり若い世代だったと記憶してます。余計なお世話かな とも迷ったのですが BachLoverさまの御名誉のために・・・すみません。修正なさったら 手前の呟きは どうぞ削除ください。
コメントありがとうございます。ダン・タイ・ソンではなく、アダム・ハラシェヴィチでした。
おおきな勘違いしてました(汗)。
記事訂正しました。